一級資料「魏志倭人伝」

2020/10/16改めて魏志倭人伝を読み解く ー 有象無象の珍説奇説を木っ端微塵に蹴散らす


 
先般リリースしました「改めて魏志倭人伝を読み解く - 有象無象の珍説奇説を木っ端微塵に蹴散らす」ですが、お陰様で出足好調です。
当・拙ブログにて告知しているのみで、他に何の宣伝もしていませんが、それでも多くの方々にお読み頂いております。ありがとうございます。
 
現在出回っている卑弥呼邪馬台国諸説の決定版、と自負しています。
ですが執筆し終えて、それら諸説に詳しい方々にしか、拙著の価値をご理解頂けないのではないかと反省しています。

つまり、
「諸説にはこういった争点があり、それぞれどういった根拠を持ち出してどう主張しているのか」
といった、争点論点の整理が不十分だった……と感じるわけです。
 
そこで改めて、争点論点をベースとして拙著を解説する、つまり補助的な本の執筆を検討しています。
当記事は、その基礎原稿として先行掲載するものです。
 
 
 

「魏志倭人伝」とは

邪馬台国。――
「3世紀頃、女王卑弥呼を擁する多数の小国の『連合体』が存在した。その女王国を『邪馬台国』と言う」
と、私達は学校で教わりました。
 
いや、ウソなんですけどね(苦笑)
諸々、ウソです。この件、後々詳しく解説したいと思います。
 
何故、卑弥呼邪馬台国が我が国の古代史におけるミステリーなのかと言いますと、我が国の歴史書『古事記』や『日本書紀』――併せて『記紀』と言います――に、何故かその名が全く掲載されていないのです。
 
では出典は……と言えば、大陸の歴史書『三国志』(陳寿著)の『魏志』に詳述されています。
その『魏志』の30巻を『烏桓鮮卑東夷伝』といいまして、そのうちの一章が『倭人伝』――通称『魏志倭人伝』――なのです。その魏志倭人伝に、卑弥呼邪馬台国の事が詳述されているのです。
 
 
 

恣意的に解釈してはダメ

三国志の著者陳寿は、歴史書編纂者として極めて高い評価が為されています。
そのエラい陳寿は、一説によると、
「倭人伝を書きたいがために、三国志編纂を引き受けた」
との言い伝えが残るほど、並々ならぬ熱意でもって倭人伝を執筆しました。
 
ですから歴史書として、資料的価値が高いと認識すべきなんですね。
真摯に読み解くべきなんです。日本人研究者が、あちこち自説に合わないからと言って、
「これは陳寿の勘違いだろう」
だとか、
「単なる誤記だろう」
……なんて、恣意的に解釈してはダメなんです。
 
 
 

アホ臭い説を排除せよ

例えばアカデミズムの掲げる二枚看板たる、邪馬台国畿内説。――
実は方角も距離も、魏志倭人伝の記述と全く一致しません。
ですがそれを、
「陳寿が何か勘違いしているんだろう。全て、南を東と勘違いした上で、卑弥呼邪馬台国への経路を記述したんだろう」
……などと、恣意的に解釈した上で成り立っています。
 
確かに距離は、測定が難しいためアバウトでしょう。特に海上移動における距離測定は難しく、アバウトです。実際、魏志倭人伝の距離記載は、全て概数だと解釈すべきです。
ですが方角はどうでしょうか。
方角なんてものは、太陽が出ていさえいれば誰にでも明らかなんですよ。地面に棒杭の一本も立ててみれば、影の角度や長さであっさり判ることです。
 
それを、魏朝の人々が尽く勘違いし、誤って報告書に記載したでしょうか。陳寿はその報告書につられ、勘違いしたまま魏志倭人伝を編纂したでしょうか。
あり得ない話ですよね。
しかし多くの学者先生方が、未だそんなアホ臭い説を唱えているのです。呆れた話です。
 
世間に多くの邪馬台国諸説が溢れています。学者のみならず、アマチュアの研究家もを様々な自説を唱えています。
ですがその多くは、魏志倭人伝をきちんと読み解いていないのです。謎を解くアタマが無いので、自説の都合で記述を勝手に取捨選択しつつ
「邪馬台国の所在地はココだ!!」
と主張しているに過ぎません。その尽くが、実に低レベルなのです。
 
 
 

記紀史観との兼ね合いも大事

加えて、記紀との兼ね合いを丸っきり無視しています。
これも大問題です。記紀には卑弥呼邪馬台国の時代について書かれているのですが、学者先生方は記紀史観を丸っきり捏造しているので、それが魏志倭人伝の記述と繋がりません。
 
というわけで本稿の筆者幸田は、陳寿著魏志倭人伝を、
――信頼に足る一級資料
と見做した上で、丁寧に読み解きます。実際に自説を立てた上で改めて感じるのは、魏志倭人伝の凄さです。
かつ、
――記紀史観との兼ね合い
を重視しています。
 
以後、そういったスタンスで、魏志倭人伝を解説していきたいと思います。卑弥呼邪馬台国の謎を解き明かしたいと思います。
 
次回へ続きます。
 
 

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