歴史学者共、ちゃんと仕事しろ!! ― 中編

2023/07/12歴史ってすっげ~面白い

前編より続きます。
 
 
そういった「語るべき事実をちゃんと解説しない」という問題は、なにも名護屋城博物館だけの話じゃないんだけどね。
隠蔽そして歪曲。現代の歴史学考古学において非常に目に付く。
 
例えば名護屋城博物館における、“須恵器”の説明。――
 
古代の日本で、須恵器が盛んに作られるようになった。
半島、特に南部で須恵器が出土していることから、半島の技術が日本に伝わった……と解説されてるんだけど。
ホンマかいな!?

半島においては日本より早くから製作され始めた、って証拠でもあるの?
楽浪郡とか帯方郡エリア以外で。
 
そこ、解説の根拠として、きちんと提示する義務があるんじゃね?
ちなみに幸田は、幾ら調べまくってもその辺全然資料が見つからないんだけど。
またいつもの、
「高度な技術は何でもかんでも、半島や大陸から伝わった。半島や大陸の技術者から教わった。ありがたや~ありがたや~」
……の手口じゃん。
 
ヘドが出そうだ。
 
確かに、日本書紀にそれらしい記述がある。新羅(もしくは百済)の連中に作らせた、と。
でもさ、それって海外技術を獲得したって証拠にはならないよね。
 
これも全く語られない事だけど、日本においては古来、半島人に3K仕事を負担させてた。それを戦後の教科書では“先進技術の職能集団”なんて印象操作をしている。
違うぞ。そりゃ事実歪曲だ(怒)
須恵器だって素直に考えれば、
「日本独自の技術として開発した。その実作業を、3K仕事担当の半島人に命じただけ」
という可能性だってある。
 
ちなみに白村江後の“朝鮮式山城”にしても、そう。
白村江の戦いに敗けた日本軍は、慌てて対馬海峡を渡って逃げ帰り、本土防衛のため九州や瀬戸内に幾つもの山城を築いた、とある。
教科書や解説本において、「彼らが高度な築城技術を持っていた」とでも言いたげなニュアンスの解説が、散見する。
 
だが当時、半島に高度な築城技術があったわけではない。
一時期、韓国で盛んに当時の城を復元……と称し全くの新規建造がなされた。そりゃそうだよね。資料など一切残っていない。完全に損壊しているので実情不明。だから韓国人はそれらを全部、想像だけで作った。
古代の半島人の高度な築城技術、を示す根拠にはならない。
 
要するに日本書紀の記述から読み取れる事は、当時の日本国内において、3K担当たる半島人に面倒な土木建築作業を任せたに過ぎないのだ。それが実情だと思われる。
 
証拠に、幸田の住まいに近い“大野城”(学者の言う朝鮮式山城)など、ボロボロに崩れ跡形も残っていない。築城技術が稚拙だったからだ。
いわゆる朝鮮式山城と考えられているものは、どれもこれも損壊著しい。
一方、同時期に建造された水城などは、ちゃんと崩れず残っている。
両者を比べると、あちらの人々の技術力など一目瞭然ではないか。にも関わらず、戦後の我が国の学者は歴史歪曲を続ける。
 
須恵器に関しても、まさにそのパターンではないかと想像する。
 
その前提たる、
「古代の朝鮮半島は、未開の後進地帯だった」
という厳然たる事実を、我が国の歴史学者共が隠蔽しているんだからたちが悪い。その上で巧妙に歴史観を歪曲しているのだ。
 
話が逸れた。名護屋城博物館。――
元寇は半島人が主力だった癖に、
「直前に高麗人が、元に反乱を起こした。それが、元寇の威力の緩和に多少とも繋がったかもしれない」
……なんて書かれている。
アホか!!(呆)
 
それから朝鮮出兵の話。――
解説に、あたかも李舜臣率いる水軍が、日本の水軍を破ったかのような記述があった。
 
いや、そりゃ初戦だけだろ(笑)
ちゃんと、
「(日本軍が海戦に不慣れな)初戦、それも日本船団のごく一部への奇襲……以外は全くダメで、あとは必死でゲリラ戦を展開するも刃が立たず、同僚の讒言もあり左遷を食らう」
と書けよ。
 
ホント、解説内容のバランスが悪くて、資料としての客観性に欠けるんだよ(呆) 
全くの解説不足で、あたかも日本軍が李舜臣船団にまるで敵わず、撤退したかのように感じる。
全然ダメじゃん。……
 
という具合に、まあ兎に角酷かった。
体調が悪い中、わざわざ足を運んだのに、腹が立つだけだった。
そんな博物館、要らんでしょ。
 
そもそも名護屋城の歴史的意義、魅力というのは、
「秀吉が日本中の錚々たる大名を唐津名護屋に集結させ、巨大な城を築いて海外派兵の基地とした」
という点だろう。
当時の布陣図を見ると、本当に豪華なものだ。佐賀の田舎でオールスターゲームが展開されていたのである。
 
常設展示室に入ると真っ正面に、名護屋城周辺の地形図模型がある。
まさに名護屋城の歴史的意義や、魅力を示すものだろう。
が、そこからして全然ダメ。
 
名護屋城自体がデカい上に、たくさんの戦国大名が布陣していたわけだから、模型は広大なエリアをカバーしている。
にもかかわらず、土台の高さが少々高過ぎるのだ。
成人男性の平均身長たる幸田が眺めても、ちょっと高過ぎるために全体が見渡し辛い。
そして、オールスターズの布陣がろくに解らない。それらを示すプレートが少な過ぎるのだ。
 
おまけに地形に埋没し、プレート自体が見にくい。
室内照明が暗いせいもあって、余計に分かり辛い。あれではダメだろう。折角予算を投じて立派な模型を作ったのだから、ちゃんと活かせなきゃ意味がない。
 
 
後編へと続く。

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