氷解!! 魏志倭人伝の謎 - 卑弥呼の墓が宮崎市にある!!
2018/02/03魏志倭人伝の謎が解けた!!
その4より続きます。
というわけで、幸田説(笑)によれば邪馬台国は、現在の宮崎県宮崎市です。
【幸田蒼之助の休日】 2014/11/24
“邪馬台国は宮崎にあった!!”
http://offtime.sohnosuke.com/?p=10404
邪馬台国は宮崎県宮崎市ではないか!?
古神道の方々や、邪馬台国宮崎説を唱える数々のアマチュア研究家の方々は、
「邪馬台国は現在の西都原古墳群(宮崎県西都市)付近だ」
と主張されています。
しかし幸田は敢えて、宮崎市説を提唱します。
なぜなら宮崎市は、そのほぼ全域から古墳だとか、当時の遺物が出土するのです(西都原古墳群は邪馬台国時代より少々後に繁栄・・・・という印象を受けます)
宮崎市内の生目古墳群1号墳は、初期の大型前方後円墳(全長130m超)です。築造年代もサイズも、魏志倭人伝に記述されている卑弥呼の墓に相応しいのです。
この生目1号墳、各種の資料や文献ではあまり見かけません。ほぼ無視されているような印象を受けます。
たまに見かけても、「3世紀後半築造」と書かれています。しかし現地で研究されている方々は、
「いやいやもっと古い筈だ」
と密かに考えておられるようです。学会に遠慮して、それを強く主張し辛いようです。
これぞ正に前方後円墳のルーツ、という感じです。箸墓古墳の相似形で、サイズは1/2。畿内の大型前方後円墳に影響を与えた、と考えられます。
邪馬台国宮崎説には考古学的根拠がある
そうそう。卑弥呼の墓の候補はもう1つあります。
生目古墳群と大淀川を挟みその対岸、瓜生野という場所には、かつて生目1号墳と全く同じサイズ、同じ形の前方後円墳(笠置墳丘墓)が存在しました。残念ながら、道路工事によって既に破壊されています。
郷土のアマチュア研究家日高祥氏がいち早く、この古墳(石室がないので墳丘墓と呼ばれていますが)の重要性に気付き、保存と研究を行政や学者に訴えて回りました。
しかしほぼ無視され、破壊を余儀なくされました。ただ日高氏の涙ぐましい努力により、破壊前にある程度調査が為されています。それ(幾人かの学者に出土品の鑑定を依頼)によると、築造年代は3世紀前半或いは2世紀後半まで遡る可能性がある、とのこと。
つまり多くの方々の諸説と異なり、邪馬台国宮崎平野説には、考古学的に明確かつ有力な根拠が存在するのです。
宮崎は邪馬台国臭ぷんぷん
前述の地名「生目(いきめ)」。邪馬台国長官「伊支馬」に因んでいる、という感じがしませんか?
宮崎県中部には、「耳川」や「美々津」(奇しくも神武お船出の地)という古い地名が残っています。宮崎市西方の小林市には「ひなもり台」という古い地名が残っています。いずれも魏志倭人伝ゆかりの名称です。
また宮崎市は、
「都市は水量豊富な大河の注ぐ、肥沃な平野において発展する」
という歴史の法則にも合致します。
二毛作はおろか三毛作も可能ではないか、と言えるほど温暖です。
鉄資源も豊富です。
前述の日高氏の調査により、膨大な数の製鉄炉跡も見つかっています。その数、万単位(驚)
だからこそ、神武東征が可能だったのです。
かつ、神武東征後も大和朝廷をバックアップ出来たし、自らも繁栄し九州勢力を糾合し得たと考えられます。
宮崎県平野部全域で考古学調査が行われた
宮崎県は九州山地に遮られ「陸の孤島」と呼ばれています。今日、経済的発展から取り残され、ど田舎のままです(涙目)
皆さんご存知の通り、南北に長いです。高速道路も鉄道網も不十分で、最近やっと、待望の高速道路が開通しました。
しかし古代においては、これが逆に「地の利」となった、と考えられます。つまりどこからも攻められることなく、ひたすら強大な力を蓄えられた筈です。
高速道路「東九州自動車道」建設工事に先立って、そのルート上、県北延岡まで考古学調査が行われました。結果、全域から膨大な遺物が出土し、それが証明されました。
即ち宮崎には太古より、強大な国が存在しました。
だからこそ神武天皇が東征を果たせました。かつ長年にわたり、畿内大和朝廷をバックアップ出来ました。
また大和朝廷をバックアップしつつ、自らも強大な勢力を築くことが出来ました。
それこそが邪馬台国であり、九州倭勢力なのです。
その6へ続きます。
Posted by 幸田 蒼之助
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コメント一覧
宮崎の偉い人が忖度して真実を隠しているのだと思います。笠置墳丘墓は地図を見ても分かるようにこれを壊した道路はよけようと思えばよけられた道です。その他にも「えびの」の由来を「秋のススキの色からきた」とか滅茶滅茶です。「えびの」は「夷野(えびすの)」夷つまり渡来人の住む地域だったから名づけられたのです。古事記で天孫が韓国岳から見下ろして「此地は韓國に向ひ笠紗の御前にま來通りて」と仰っているのはそれだからです。朝鮮が見えるはずがありません。えびのの事を言っているのです。だから邪馬台国は宮崎市に有ったのだし、伊都国から熊本まで船で来て上陸し、えびのを通って宮崎まで来たのだと思いますよ。
平善之さん、コメントありがとうございますm(_ _)m
先日「なろう」の方の感想に、私もレスさせて頂いたのですが、今確認したところ消えてますね(涙目)
ブログ記事、既に幾つか拝見致しました。非常に興味深いですね。
特に「百済来ーえびの(夷野)ー夷守」説、面白いと感じました。
ただ疑問は残りますが……。考古学的に、半島人が多数住んでいたという痕跡があるという話を聞かないんですよね。
一方で、宮崎平野の古墳文化がえびの方面に伝播した痕跡があります。となると、時系列的にも謎が深まります。
なんか直接現地に行って、調べてみたくなります(笑)
笠置墳丘墓の件、本当に大きな損失だと思います。
河野知事に調査をお願いしてみましょうかね……。